【体験談】場面緘黙症が治ったきっかけと、治るために必要だった6つの要素

楽しく話す少女2人

家では話せるのに学校に行くと誰とも話せない。。これはいつか治るのかな。。

ウチの子は恐らく場面緘黙症だけど、治るのかしら。。



本記事ではこんなお悩みをお持ちの方に向けて
・私自身の場面緘黙症が治ったきっかけ
・場面緘黙症が治る為に必要だった6つのこと

をご紹介します。


私は「場面緘黙症」と診断を受けた訳ではありません。
30年近く前の話になるので、当時は「場面緘黙症」という言葉が今ほど認知されていなかったので、親も先生も「変わった子」「極度に大人しい子」という認識しか無かったでしょうし、それは仕方ないと思っています。

しかし、大人になってからこの場面緘黙症の存在を知り、症状を見ていくと当時の私とほぼ完璧に一致しているので、もし当時診断を受けていたら間違いなく場面緘黙症と診断をされていたと思います。


具体的に当時の私の状態をお伝えしていくと

当時の私の状態

・同級生に話しかけられても返せない
・出欠の時に「はい」と言うのと、国語の時間で文章を一人ずつ数行読む時に自分の番を読むくらいしかできない
・「おはよう」と言われて、返したいと思いながらも言葉がでずに返せない
・給食で食べれないものを言えずに、残すと怒られるので引き出しに隠した
・4、5人でグループを作ってという時に自分から輪に入れない
・笑うなどみんなの前で表情を出すことができない
・トイレに行きたくても言えない
・学校が怖いのでそもそも学校へ行かない日の方が多い

という状態でした。


ですが、その後
・中学で野球部に入り4番を打つ
・23歳の時に営業職で200人中1位
・不動産会社で口コミのみで毎年200名以上の紹介をもらう
・社員からの投票で取締役に推薦されて不動産会社の取締役に

など、場面緘黙症に悩むことはなく人生を歩んでこれました。


その治るキッカケは何だったのか?
をこれからご紹介していきます。


場面緘黙症に苦悩した日々

言葉がでない吹き出し

当時の私の状態をより具体的にお伝えすると、場面緘黙症の症状がでたのは幼稚園に入学したタイミングでした。それまでは家族や親族以外に話す機会というのはほとんどありませんから、特に症状が出ることも無かったです。幼少期の頃で記憶が曖昧なのでもしかしたら兆候はあったかもしれませんが。


幼稚園に入ると他の子達はすぐ打ち解けあって友達ができていきますが、私はパニックになってしまい他の子と一才話すことはありませんでした。今思い出しても幼稚園で誰かと話した記憶は全くありません。


記憶を頼りなので少し憶測も入りますが
・周りの子が自分をどう見ているか?
・何を考えているのか?

この辺りの不安が異常に強かったと思います。
それまでは家族としか接することがなく、家族は絶対的な味方ですから上記のような不安を感じることは無いですが、初めての集団生活で生まれた不安がコントロールできず、そのまま人と話せなくなってしまったのだと考えています。


小学校に入れば変われるかもしれないという期待を持っていましたが、小学校に入っても何も変わらず、いつの間にかほとんど休むようになっていました。風邪やら腹痛やら様々な理由をつけて学校を休み家にいました。


ずっと変わりたいとは思っていました。
なぜなら
話したくなくて話していないのでなく

話したいのに話せないのです

これが凄く苦しかった。


周りの同級生や先生からしたら、「一人でいたい子」「話すのが好きではない子」という感じで見ていたでしょうが、全くそんな事はありません。
・人と話したい
・友達が欲しい
・みんなと同じように遊びたい
・普通に楽しく学校へ行きたい

そんな事をずっと願っていました。


何とか自分を変えようと自分なりに努力をするのですが、どれも上手くいかず結局変われないままでした。


ですが、大きく変わるきっかけがありました。

【体験談】場面緘黙症が治ったきっかけ

2人の少年が歩いている

先ず転機になった出来事は、小学校5年生頃に、父が当時はまだ日本にいたイチローの試合に連れていってくれた事でした。そこでイチローのファンになり、後日イチローの本を読んでいる中でその尋常ではない努力の日々を知って


「これくらい努力すれば変われるかもしれない」
という気持ちが湧いてきたのと、
「野球をやりたい」
という気持ちが生まれました。

そして、
中学に入ったら野球部に入りそこで人生を変えようと決意しました。


今までの変わりたいという気持ちとの違いは、【自分は人と話せない人間である】というのを自覚した上で変わろうと決意したことです。


今まで「今日こそ話そう!」とか思いながらも何百回と挫折してきたので、ある日急に話せる自分になれるという事に期待するのは止めて、話すこと以外で勝負していこうと決めました。どういう事かというと、スポーツ漫画には大体一人くらい、寡黙だけどメチャメチャ上手いからチームに必要なキャラがいます。スラムダンクでいうと流川楓のような、そういう存在になれれば、みんなから黄色い目で見られることもなく自信持って学校に行けるのではないかと思うようになったのです。


なので中学に入るまでの2年間、ほぼ不登校だった事を活かして家で筋トレや素振りをしまくりました。外に出たくないのでバッティングセンターに行ったりはほぼしませんでしたが、自分一人でできる練習をとにかく繰り返し、そして中学に入りました。


覚悟を持って入った中学ですが、いざ野球部に入部届を出そうとすると怖くて提出期限の2週間ギリギリまで出せませんでした。しかし、勇気を振り絞り何とか入部届を出して野球部に入りました。最初は毎日
「休みたい」
「いや変わると決めただろ」

という葛藤を繰り返し、何とか自分を鼓舞して練習に参加する日々でしたが、少しずつ慣れてあまり抵抗なく参加できるようになっていきました。


夏の大会で3年生が抜けて、1、2年生の新チームとなった秋の大会でレギュラーを取る事を目標に頑張りましたが、秋の大会ではレギュラーにはなれませんでした。


その時は
「これだけ努力しても結局変われないのかオレは」
と、かなり絶望しました。


しかし、諦めずに続けて冬にはレギュラーで4番を打たせてもらえるようになり、これが凄く大きな自信となりました。


チームメイトが「何でそんな打てるの?」と聞いてきた時に
「毎日帰ってから素振りしてるから」
と返せるようになったのです。



それから
野球部の子達と野球に関することが話せるようになり
野球部の子達と野球に関すること以外も話せるようになり
クラスメイトとも少しずつ話せるようになり
と、本当に少しずつですが学校でコミュニケーションが取れるようになっていきました。



学校へ行くことも
野球部の練習へ参加することも
全て楽しみになっていき、友達もできました。


中学3年生時には、場面緘黙症はほぼ克服できていたと思います。まだまともに話せない相手もいましたが、仲良い人とは話せるようになってましたし、ちょっと大人しい中学生くらいにまで成長していました。


場面緘黙症が治るきっかけとなったのはイチローに憧れて野球を始めたことですが、変われた要因はいくつかあると思っています。


特に大きな要因は
・中学へ環境が変わったこと
・野球に対して自信が生まれたこと
・安心できる環境があったこと



つまり
【タイミング×自信×安心できる空間
この3つが揃ったからだと思います。


この3要素含め、場面緘黙症を治す為に必要だと感じていることをお伝えしていきます。


場面緘黙症を治す為に必要な6つのこと

6つのガラス玉


医学的な方法と言うよりは、私自身の経験からお伝えする方法になりますので参考にならない部分もあるかと思いますが、カウンセラーや精神科医の方がお伝えする方法とまた別の視点として参考になれば幸いです。

①自分は問題のある人間だと思わない。

そもそも、病気や障害だと考えないことが大事です。


知的障害などを含むケースはまた違う対応が必要だと思いますが、場面緘黙症に関しては【個性】だと思います。ただ、その個性に対して周囲が理解をする上で場面緘黙症というものを認識した方が良いですが、「あなたは場面緘黙症だから」というレッテルは貼らない方が個人的に良いと考えています。


少なくとも私は自分が場面緘黙症だと思わない(知らなかったので)で過ごせた事で「変わりたい」という気持ちを強く持てましたが、もし場面緘黙症と診断されていたら「頑張っても無理なのか」と諦めてしまっていた可能性もあります。


要は、親や先生など関わる人は場面緘黙症だと思い接しても良いと思いますが、本人に伝える必要は別に無いかなと思うのと、仮に本人が場面緘黙症だと自覚したとしても、それを気にする必要は一才無いということです。


個性なので治すという言葉も変ですが、場面緘黙症の場合「生きづらさ」を感じる機会はどうしても多いので「変わりたい」と思うよう人は多いでしょう。何もせず勝手に変わることはないでしょうが、変わりたいという気持ちを持ち続け試行錯誤していけば必ず変われると私は信じています。


勉強が苦手な子もいれば、走るのが苦手な子もいます。その苦手がたまたま人と話すことなだけです。逆にできることが沢山あります。変わりたいと思っても決して焦ることなく、少しずつ自分を変えていきましょう。


②簡単な発声やコミュニケーションから始める

砂浜に書かれたYESの文字

私が話せなかった理由に「どう思われるか怖い」というのがありますが、野球部だと練習で「うぇい!」「ばっちこーい!」そういう同じ掛け声みたいなのをひたすら練習中に言うんですけど、それをみんなが当然のように言うので私も小声で「うぇい」とか言えるようになっていきました。


みんなが大声を出しているので言ってもどうせ聞こえないと割り切っていられたのが大きな理由ですが、【声を出せてる】というのが嬉しかったので こういう簡単な発声からスタートできる環境はオススメです。


あと、野球部だと「キャッチボールしよ?」とチームメイトが話してきた時に「うん」で返せるなど、
「うん」「いいよ」とか簡単に返せるコミュニケーションが多かったのも良かったと考えています。


私の場合野球部に入ったことで
・簡単な発声
・簡単なコミュニケーション

の両方が出来ましたが、別に野球部じゃなくてもスポーツ系の部活などはこうした環境になりやすいですし、身近でそういう場所を探してみましょう。


先生や同級生など周囲の人は、場面緘黙症かな?と思う子がいれば「はい」か「いいえ」で返せるようなコミュニケーションを心がけましょう。


③強い興味関心を持てるものを探す

沢山の趣味の本

私の体験談で野球部の子達に「どうしてそんな打てるの?」と聞かれた時に「毎日素振りしてるからだよ」返せたという話を記載しましたが、これは今思うと場面緘黙症を克服する大きなヒントになっているなと感じます。

「どう思われるかが怖い」
「周りの目が気になる」

などの不安が普通の人よりも大きい事が話したいのに話せない大きな原因だったと思っていますが、自分が自信のある分野に関して聞かれた事に答えるのは、通常のコミュニケーションに比べると遥かに安心感があります。


・相手が興味関心を持って聞いてくれている
・自分はその分野において相手よりできると感じているので、相手の役に立てるという自信もある。
・そもそも自分が好きな分野なので、人に話したい気持ちも強い


という状態になり、話すことによる不安、リスクが低く、場面緘黙症の人はそういった相手の感情や好意や敵意などを過敏に察知するので、【安心して話せる】と感じて話せるようになったのです。


その為には
これは人よりもできる!と、自信を持てる事を作りましょう。


自信を作ろうとして取り組むというよりは、自分が熱中して取り組めるものを探せば、結果として自信を生まれていくので先ずは強く興味関心を持てることを探す事が大事です。


色々と興味関心を持った分野を実際にやってみて、すぐ飽きたら飽きたで全然いいので、その中で心から熱中できるものを探しましょう。


親御さんはそれらを提供してあげることが大切です。色んな雑誌を買ったり、漫画を買ったり、何かの観戦に一緒に行ったりなど、興味の幅を広げてあげられるよう支援をしましょう。


④環境を変える

チェンジ

同じ環境のままで自分を変えるのは相当難しいです。


私も中学校に入り環境が変わったことが、場面緘黙症が治るハードルをかなり下げてくれたと思います。


なぜ同じ環境のままだと変わりづらいかというと
・人にどう思われるか
・周りが自分をどう見るか
これらの不安がただでさえ大きいのに、今まで話していなかった環境で急に話したとしたら「え、急にどうしたの?」と周囲が思うことが容易に想像できてしまうからです。


私も小学校1年生の頃に今日こそ「おはよう」と言おうと試みた時の恐怖心よりも(結局言えてませんが)、2年生、3年生と上がるに連れてドンドンその恐怖心が増していった記憶があります。

要は周囲の人から
「あなたはこういう人」
というイメージを持たれれば持たれるほど、変わることに抵抗を感じていくということです。


なので中学や高校へ入学したタイミングなど、環境が大きく変わる時は絶好の機会です。私は地元の中学だったので小学校の時の同級生も多く少しやりづらさもありましたが、それでも小学校の時よりも遥かに気持ちは楽でした。


ただ、環境が変わるタイミングで場面緘黙症を克服できなくても気にする必要はありません。私も最初は小学校の時にそれを期待しましたが、結局できずに次の中学入学での再チャレンジになりました。焦らずに次の機会を待ってでも良いですし、転校でも良いと思いますし、学校じゃなくても習い事などから始めてみても全然良いと思うので、とにかく今の環境で無理して変わろうとはしない事がオススメです。


⑤絶対的な安心空間を

安心しているハリネズミ

これは自分自身で努力するというよりは、周囲の方が意識して欲しいことです。


家族となら話せるけど、家から出ると話せない、学校だと話せない、などの違いは簡単に言えば【安心感】が大きく違います。


学校などだと話した先の【結果】が
・いじめられる
・嫌われる
などどうなるか見えないのに対して、家族は何があっても味方でいてくれるという結果が見えています。


私は中学入学で環境が変わり、毎日の素振りを通し自信も付けていましたが、それだけではなく、野球部のチームメイトと監督が良い人達だったというのも場面緘黙症を克服できた大きな要因でした。


小学校時代や中学の他の同級生と比較するのも良くないとは思いますが、野球部にいた同級生は本当に良い子が多かったです。私の事を変な目で見てくることもないですし、嫌味な発言をしてきたりも無いですし、優しく接してくれました。


「この人達は僕の事を受け入れてくれている」
という安心感が生まれてきていたので、野球に対する自信が芽生えてきた時に話せるようになったのだと思います。私の時代は場面緘黙症という言葉の認知度は低く先生達や生徒も知らなくて当然ですが、今は少しずつ認知度が上がってきているので、周りの方達が協力して安心できる空間を作ってあげましょう。


自分自身でできる事とすれば、場面緘黙症の人は感覚的に相手が優しい人かどうか見抜きやすいと思うので、なるべくそういう人が多くいる部活を選ぶなど工夫しましょう。


⑥勇気

高い場所に立つ勇気ある男性

どれほど自信を持とうと
安心できる空間があろうと
環境が変わろうと
最終的に【勇気】はどうしても必要になります。


その勇気を振り絞るレベルは人によって違うと思いますが、場面緘黙症から何かしらの変化を起こすのは他の人では想像できないほどの勇気が必要になります。


ですが、勇気が出なくて変われなくても大丈夫です。何度も書きましたが私も小学校の時は勇気が出ずに全く変われませんでした。それが徐々に悔しさになり、その悔しさが積み重なり強い覚悟となったからこそ、ブルブル震えながらも中学で野球部に入部届を出すことができました。


勇気がいるよというとプレッシャーにもなるかもしれませんが、なぜこれを伝えておきたかったというと、勇気が必要と分かっていれば心の準備がある程度できるからです。


自信を付けていき、ここぞという場面では勇気を振り絞りましょう。


今、場面緘黙症の人へ

手紙とペン

何も悲観的に考える必要はありません。


私は今とても幸せですし、場面緘黙症だった過去もあって良かったと心から思えています。もちろん当時は苦しかったですし、このまま生きてて意味あるのかなども考えましたが、その経験があったからこそ今ある何気ない日常を他の人よりも幸せに感じられています。


個人的にはですが、場面緘黙症の人は人の感情を察知する力が異常に強いのだと考えています。だからこそ不安や恐れも大きくなり話すことが出来なくなってしまうのですが、その力は大きな財産です。


私はクレーム産業と言われるほどクレームが多い不動産の業界で1000以上のお客様の対応をしてきましたが、勤めてきた10年間でクレームは1回だけでした。相手が今どういう感情にあるかが感覚的に分かるので「今この人不満を感じ出しているな」と察知したらその瞬間にフォローをするなどして満足度を上げることをしてきました。これは私の大きな強みだと思っていて、場面緘黙症の人にはこのような能力が高いと確信しています。


場面緘黙症が勝手に治ることはなくとも、治そうと思えば絶対に克服していけます。


そうは言っても今悩んでいる人は不安ですよね。
私も家では話せるので、学校で話せないという事を親に知られたくなかったので、ずっと一人で悩み苦しんできました。恐らくこの記事を見てる方の中にも私と同じように誰にも相談できず一人で悩んでいる人も多いのではと思います。


そうした状況の人で、誰かに相談したい場合は私で良ければ相談に乗るのでこのサイトのLINE公式アカウントから気軽にご連絡ください。1回限りですが40分無料相談をしています。
本来そういう相談に乗る場ではないですが、昔の自分と同じ悩みや苦しみを持っている人であれば可能な限り力になりたいので。家族以外と話すのが怖いと思いますが、同じ悩みを抱えていた人であれば少し話しやすいかと思うので、そういう実験的な意味で使って頂いても構いませんので。もちろんご両親の方からのご相談でもOKです。

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ということで、私の体験談を踏まえた場面緘黙症の治し方をお伝えしてきました。少しでも参考になれば幸いです。最後まで読んで頂きありがとうございました。


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