1,000日以上の不登校
12年間の孤独の日々
重度のコンプレックス
を乗り越え
フルコミッションセールスで全国1位
不動産会社の取締役を6年
新規営業0、クチコミのみで年間200名以上の方から物件探しの依頼をもらい続ける
など様々な経験を活かし
人々の自己肯定感を高め
「本当はこんな人生を送りたかった」
「こんな自分になりたかった」
という願いを叶える為に活動中!
人生ストーリー
12歳までほとんど学校に行かない不登校児。
学校に行っても誰とも話せず、恐らく小学校6年間で同級生と話した時間は合計1時間以下笑
恐らくワクワクさんとさわやか3組を見た回数だけは世界一位。
そんな幼少期を過ごしていました。
毎日家でテレビを見るか漫画を読むかゲームをするかばかりの日々で、全てに飽きてくるので一人遊びを色々考えてずっと一人で過ごし、たまに隣に住んでる親戚のSちゃんと遊ぶのだけが唯一の楽しみ。
そんな日々で、満足していたかというと全くそんなことはなくて
本当は
学校に行きたいし
友達が欲しいし
休み時間にみんなと遊びたいし
ポケモンも一人でやるんじゃなくてみんなとやりたいし
普通の子供のようになりたいし
思いっきりスポーツもしてみたいし
周りの目を気にせず街を歩いてみたい
そんな本心を胸に抱えながら
ずーっと変わりたいと願い
今日こそは学校に行ったら
「おはよう」
と同級生に声かけてみよと思うのですが、結局勇気が出ずに言えないままで、変わりたいけど変われないという日々を3000日以上過ごしました。
今では当たり前に使う「おはよう」という言葉が、当時は何度口から出そうとしても出ない、あまりにも遠い言葉でした。
転機になった出来事
一つの転機になったのが、
小学校5年生の時に父親が野球観戦に連れていってくれたのですが、その試合が
オリックスVS日本ハムファイターズ
そこでイチローのファンになり、父が買ってきてくれたイチローの自伝を読んでいく中で、イチローはプロ野球選手を目指す中では背も小さく細身な体型で明らかにハンデを背負ってましたが
それを言い訳に一切することなく
友達と遊ぶこともなく
毎年360日以上練習するという日々を過ごしていました。
そのイチローの尋常じゃない努力を知り
オレはこんな努力すらせず
もっと親がちゃんとしてたら
違う学校だったら
幼稚園の時にもっと良い先生がいたら
そんな言い訳ばかりをしている
と、気づき
自分の力で人生を変えよう
そう決意しました。
でも何も話せない子が中学で野球部に入ったらどうなるかなとイメージしたらイジメられてる姿しか想像できなくてかなり葛藤し、最終的に出した自分おの結論は先ずは野球を上手くなるしかないと思いました。急に話せるようにはならないけど、野球さえめちゃめちゃ上手くなればチームにとって必要な存在にはなれると。
そう思い、自分に誓いました
①野球部に入部届を出すこと
②毎日1000本素振りする
③3年間、部活も学校も休まず毎日行く
いきなり1000本の素振りが出来たわけではなく最初は30本くらいで限界でしたが、次第に100本、200本と増え、半年後くらいには1000本素振り出来るようになっていました。
人生を変えるために動きだす
そして中学校へ入学
部活の募集が始り、入部締め切りの日が近づいていくのですが入部届を出すのが怖くて
出せないまま数日過ごしました、
でも、このままだとまた今までと同じような3年間を過ごす
「変わるって決めたんだろオレ」
男子トイレで一人で自分を鼓舞し、職員室へ向かい野球部の顧問へ入部届を提出しました。
恐らく人生で1番勇気を使った瞬間だと思います。
そうして無事に?野球部に入り、全然話せないので嫌な思いも沢山しましたがそれでも頑張り続け、バッティングでは結構打てる自信も付いてきました。
夏に3年生が引退し、秋に1、2年生の新チームでになっての最初の大会、レギュラーになれるかと思い期待してました。レフトを守っていたので欲しい背番号は7番。レギュラー発表の時に監督が1番から読み上げていって、4、5、6、7番の時、心臓がすごい音を立てていましたが、結局僕の名前は呼ばれずに、貰った背番号は14番でした。
人生変えようと決意し
勇気を振り絞って野球部に入部届を出し
手から血が出ようと雨が降ろうと1000本の素振りを続けてきたのに
「結局変われないのかオレは」
そう絶望し、一人で家で号泣し続けました。
それでも、ここまで頑張ってきたじゃないかという努力が心の支えになり、次こそと思って1000本の素振りを継続しました。
そしたらその数ヶ月後の練習試合でなんと4番を任せてもらうことができて、めちゃめちゃ嬉しくて、初めて人生が変わっていっているという手応えを掴みました。
毎日素振りをしている成果もあって、バッティングはかなり打てるようになっていました。4番を打った影響もあり、周りの子達が「なんでそんな打てるの?」と聞いてくるようになり、今までの自分なら無視一択(悪気はありません笑)でしたが、素振りを続けてきた努力と、4番を打ったことが自信になったのか「毎日1000本素振りしてるからだよ」と自然に返すことができました。
野球部の子達と野球に関しての話ができるようになり
野球部の子達と野球以外に関することも少し話せるようになり
クラスメイトと話せるようになり
友達ができ
ほんと少しずつですが、人生が変わっていきました。
震えるほど怖かったですが、野球部に入部届を出して本当に良かったと心から思っています。
この経験から
【自分が変わろうと決意し努力すれば、人生は必ず良くしていける】
そう思うようになりました。
自分を偽り続けた高校・大学時代
その後、高校ではもっと人生を変えようと無理矢理明るく振る舞い
大学でもなるべく明るく振る舞い
でも、不登校だった過去が強烈なコンプレックスになっていて
僕はずっと不登校だった過去を隠して生き続けていました。
小学校時代の話とかになると何とか誤魔化し
嫌われないようにと自分を作って話を相手に合わせ
ずっと欲しかった、普通の高校生や大学生が歩むような日常が手に入ったのに
何か、
心がぎゅっと締め付けられるような苦しさを感じていました。
そんな苦しさを抱えながら、大学3年の終わり頃になり就職活動が始まったのですが、全然上手くいかず、失礼な話ですが正直良い会社とは思えないなという会社からすら内定をもらえず、自分に対しての自信を無くしていきました。不登校じゃければもっと違う人生になっていたのかな。。と、不登校だった過去をより後悔したり、後悔しつくすとあのドン底から変われただけでも幸せだと思わないとなと自分に言い聞かせたり
人生変えたはずなのに、不登校だった過去が僕の心にはずっとこびりついていました
不登校だった過去は初めて話した日
そんな中、たまたま街で英会話のアンケートを書いて、そしたら英会話の営業電話がかかってきてちょっと胡散臭かったですけど大学生専門の英会話で面白そうだなと思い、年間50万くらいで高かったのですがバイト頑張れば払えそうだしと入ることを決めました。
英会話以外にもサークル活動が盛んで、そこで出会ったIさんという100人ほどのサークルの副代表の人と話していた時にIさんが急に
「陣内さ、お前何か隠して生きてるだろ?」
と言ってきて、すごいドキドキしました。
何で?
オレが不登校って事を知ってるわけはないけど、何でそんな質問をしてきたんだ。。と混乱しましたが、Iさんの事を信頼していたので、「言ってみるか」と思い人に初めて不登校だった過去の事を話しました。
ずっと不登校で友達も一人もいなくて、毎日変わりたいと思っても変われなくて
だけど人生を変えようと決意して中学で野球部に入って毎日1000本素振りして、少しずつ人生を変えることができた。
でも、やっぱり不登校だった過去は邪魔だと思っている。
出来る事なら戻ってやり直したいくらいに思ってしまっている。不登校じゃなく、普通の子達と同じような幼少期を過ごしていたら別の人生に、もっと輝いた人生になったんじゃないかと考えてしまう
そんな話をしたら、Iさんは
「なんだそんなことか、オレはてっきり過去に人でも殺して来てるんかと思ったよ笑
それは冗談だけど、陣内、その過去は消したい過去でも、恥ずべき過去でも何でもなくて
お前の人生の財産じゃないか
だってオレ以外の人は恐らく過去に何かあったなんて気づいていないし、そのくらいお前は変わってこれたんだよ。しかも自分で血の滲むような努力をして、そんな人にオレは出会ったことないし、メチャメチャ尊敬する。
それに、お前は乗り越えてこれたけど、同じように人生に絶望していて、変わりたいけど変われないで苦しんでる人はきっと沢山いるから、そういう人の力になれるのはお前だけにしか出来ないことかもしれないよ。」
そう言ってくれて、鳥肌が立つほど嬉しくて
人生観が大きく変わるほど衝撃的な言葉でした
ずっと消したいと願っていた不登校だった過去を、初めて
あって良かったんだ
オレの人生は、消さなくて良いんだって
そう思えたことが嬉しくて嬉しくて仕方なかったんです。
上手くいき始めた人生
それから僕は、
不登校だったり
いじめられた経験があったり
コンプレックスに悩まされ続けていたり
人生に絶望していたり
変わりたいのに変われないで悩んでる
そんな人たちに
夢や希望を与えたい
という夢を持つようになりました。
今までは自分の可能性を自分で消してしまっていましたが、このIさんとの会話により自分の可能性を信じられるようになり
英会話のサークル活動に積極的に参加するようになったり、色んな自己啓発のセミナーに参加したり、社会人の人と会える場に足を運んで刺激を受けたり、すごいアクティブになりました。
30歳になったら起業しよう
そのために23歳で営業1位になり
25歳でマネージャーになり
27歳で役員になり
28歳で年収1000万になり
30歳で独立しよう
という計画を立て
そして希望した会社から内定ももらえましたが、入社が近くなった頃に、自分の性格上仮に営業で結果が出なくても給料がそこそこ貰えたらそれで満足してしまいそうだな。。と感じて、逃げ道を探さないようにと完全歩合制の営業の世界に入ることにしました。そしたら完全歩合制の世界はそんなに甘くはなく借金まみれになったのですが何とかしがみつき、何度か月間で全国1位を取ることができました。
その後に誘われて入った不動産会社でも成果を出し、2年目でマネージャーになり、3年目には周りの社員からの推薦で役員になることができて、20代で年収1000万以上になることもでき、自分でも良くやったなと思えるほど順風満帆な日々を過ごせている
28歳の頃は、そう思っていました。
原因不明のモヤモヤ〜自分と向き合い続ける日々〜
ですが、その表面的な輝きとは裏腹に
何とも言えないモヤモヤをずっと抱えていました
目標を達成していっているし、幸せだなと思うことも沢山ありました。
収入や役職も世間的に見て結構良い方で、不登校時代にバカにしてきた同級生たちより絶対オレの方が成功してるという高揚感や優越感みたいなものもありました。
だけど、何か満たされていない
肩書きや収入が上がっていってるのに対し、人生の幸福度が全く比例していない
という自分でも良く分からない状況になっていました
そんな時、会社の代表が通っていた研修に「陣ちゃんも通ってきたら」と言ってきました。
「どんな研修なんですか?」と聞くと、「人生にめっちゃパワーが出るよ」と返答
「怪しい。。」
そう思いましたが、確かにその研修に通ってから社長は今までよりも成果を出していて、イキイキしてる感じがしたので、通ってみることにしました。
今まで1日や3日間のセミナーとかは良く受けてきましたが、そこは大学のような感じで週に最低8時間は通ってね、カリキュラムが完了するまで継続というスタイルで、僕は週に1日そこに行き8時間研修を受けました。
そこが、徹底的に自分自身と向き合う研修で
自分のダメなところや、人を裏切ってしまったこと、自分を正当化したこと、逃げたこと、直面を避けていること、それらと徹底的に向き合い続ける
ちょっとでも他人のせいにするとめちゃめちゃ怒られるという状況で、正直何度辞めようと思ったか分かりませんが継続しました。
自分と向き合ってる途中は本当嫌でしたが
向き合いきった時に、なぜかふと笑えてきました
僕は、自分を優秀だと思っていました。
自分で言うのもちょっと恥ずかしいですし、完全に井の中の蛙でしか無いのですが笑
成果を出さない自分には価値が無いと思っていて、何とか成果を出すために死ぬ気で働き続ける日々、お金もほぼ貯めずに自己啓発とかに投資して学び続けていました。
でも、この研修で自分のダメなところや失敗体験を大学ノート3冊分くらい書いていき、書き終えた時に
「オレ優秀でも何でもないじゃん。むしろクソじゃんか笑」
と思ったんです。
だけど、
逃げたり
裏切ったり
避けたり
失敗したり
しながらも、何とか乗り越えて今日まで生きてきたんだなと思ったのと
優秀ではないけど、オレの本当の良いところって、人が見てなくても人一人で努力を継続できることや、諦めずに頑張れるとこだなって
人と比較してではない自分の良いところを見れるようになったんです。
この経験で思ったのが、僕は結局まだ不登校だった過去を消せてはいなかったんですよね。正確に言うと不登校だった経験自体はIさんとの対話の中である程度肯定できるようになっていましたが、高校や大学が偏差値低いところだったりとか、社会人になってからも最初はめちゃめちゃ借金まみれだったりとか、そうした自分が周りに比べ劣っていると感じていて
そのコンプレックをとにかく消したかった
不登校だった過去をある程度肯定できるようにはなったけど、結局今の人生を幸福と思えてなければ過去の全てを肯定することまでは出来なかったんですよね。
だからそのコンプレックスを消そうと死ぬ気で努力して努力して、成果を出して来て、オレは優秀だ!!と自信を持てるようになっていたけれど
そんな自分がこの研修で丸裸になり
全然優秀じゃないなと気づき
初めて本当の自分自身と会話したような感じになりました
「本当は、誰かに認めて欲しかっただけなんだよね?」
自分の心からそんな声が聞こえてきて、研修中なのに泣きそうになったのを覚えています
そう、
僕はただただ誰かに認められたかったんだ
愛されたかったんだ
必要とされたかったんだ
興味を持って欲しかったんだ
存在してて良いんだよと
そんな許可を誰かに与えて欲しかっただけなんだ
人生を変えたいと悩んでる人のために、不登校の子達のために、周りの人たちのためにとカッコつけていたけど、ただ認めて欲しかっただけなんだなと気づいた時に
死ぬほどダサくてカッコ悪い自分なのですが
初めて自分のありのままの声を聞けた気がして
自分という存在が愛おしくなりました。
完全にではないですが、少しずつ自分の存在を自分で肯定できるようになった。つまりこの時に自己肯定感が少し上がったんです。
それから人生が凄く楽になりました。
今までは会議とかで反対意見などがあると「否定された」と感じショックを受けたり、言い返したり、なんでこの提案の素晴らしさが分からないのだとイラついたりしていのたが、相手の意見をそのまま「意見」と受け取れるようになりました。
相手の意見は意見であって自分に対して否定などの意図はなく、「否定と感じている自分がいるだけ」だと気づいたんです。今までも頭ではそう言い聞かせていてもいざその場になると感情がついてこなかったのが、自己肯定感が上がってから会議の場に参加した後とかに、「あれ、今までだったらああいう発言された後にイライラしてた気がするのに全くないな。」と感じたのです。
人がイライラしてる時には、
「そんな小さい事でイライラすんなよ」
「大人なんだからさ」
とイライラしてる人にイライラという悪循環になっていましたが、「この人も、オレと同じように根っこでは自分で自分の存在を認められてなくて、苦しいんだな」と思えるようになってから、イライラする機会もかなり減りました。
自分をドンドン好きになっていく
この一連の経験を通して
自分が一番自分自身と毎日一緒にいるのに、いつの間にか自分と凄い遠い存在になってしまっていたんだなと気づきました。
自分の心の声にフタをして
自分で勝手に人生に邪魔なルールを設け
自分で自分に嘘をつき
自分で自分にカッコつけ
自分で自分を苦しめていたんだなと
そこから結婚をし妻のサポートや、両親との関係が深まったこともあり更に自己肯定感が上がり
もっと自分を愛しても良いし
もっとありのままの自分で居ても良い
そう思えるようになりました。
別に何も出来なくても
どれだけ失敗しようとも
仮に両手両足を失ったとしても
自分の存在には価値がある
そう思えたんです。
ありのままの自分に価値がある
こうして人生を振り返ると
成果を出す優秀な自分には価値がある、と
人と比較しての自信が作られ
↓
努力を続けられる自分に価値がある、と
人との比較関係なく自信を持てるようになり
↓
ありのままの自分に価値がある、と
何も条件を付けずに自分の存在を肯定できるようになり
このような流れで自己肯定感が上がっていきました。
そして今までとは比べ物にならないくらい
生きるのが楽になりました。
・人と比べることがなくなり
・人の目や評価が気にならなくなり
・自分を良く見せようという気持ちがなくなり
・失敗や人に嫌われたくないという気持ちが減り
・自分の心の声を大切にできるようになり
・自分で自分の背中を押せるようになり
・毎日が楽しくなり
・人生にワクワクするようになり
もちろん人と比べないなどは完全に無くなったとは言えませんが、以前に比べると10分の1くらいになったと思いますし、何より人生の幸福度が格段に上がりました。
全てを手放し本当にやりたいことへ
そして、31歳の誕生日を迎えた頃、自分が本当にやりたい事って何だろうか?
と改めて考えるようになり
不動産の仕事もやりがいは感じていましたが、不登校で人生に絶望していた時代の経験から、人生変えたい、自分を変えたい、と願ってるけど変われないで苦しんでる人を支えるようなことがしたい。
人生に悩んでる
自分が嫌いで苦しんでいる
変わりたいの全然変われない
やりたい事があっても諦めてしまう
本当は結婚したい
本当は自分の夢を追いたい
こうした悩みを持つ人たちが
自分が大好き
自分の人生が大好き
となり、
本当はこんな人生を送りたかった
という願いを叶えていけるような会社を創りたいと思い人材教育の会社を設立しました。
そして現在に至ります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。